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長渕剛が伝えたい日本愛とは…!💖🍀💛

こんにちは、今日は、
長渕剛が伝えたい日本愛とは…!
と題して書きたいと思います。
長くなりますが是非、最後までお読み
いただければと思います。

母が遺してくれたものを、長渕はこんな風に捉えたと言う。生きている生きていく大事なものを、これでもかこれでもかと、母は、俺に突き付けてくる。突き付けて来やがったなあーっと…。会いたいねぇ、会いたい! 死というものは、なんでこんなに泣くんだろうと、それは、二度と会えないんだよね、二度と会う事が出来ない。その事が心に魂に宿る瞬間がある。そうすると孤独では無いんだと。それを教えてくれたのが、母であり父であるのかなぁと…。

母が亡くなり、父親も居なくなりそうな状況に直面した時に、故郷と云うものが堪らなく愛おしくなって、いつしか感謝の気持ちに変わり、しまいには、恩返しをしたいって気持ちが湧いて来たんだ。よし、鹿児島で誰もやらなかったコンサートをやって、恩返しをしようと。2004年8月、長渕、当時47歳、7万5千人動員のオールナイトコンサートを開催。準備に2年以上かかった。当時の桜島の人口のおよそ13倍のファンが集結、経済効果は50億円。9時間ぶっ通しで歌い続けたその裏で、点滴を打ちながら、酸素吸入しながらステージに立っていた。その思いとは、父親にも集結したファンにも、日本全国の人達にも、そして俺も命がけでやって、みんなと朝日を見て、その見た朝日と云う思い出は、生涯心の中に残るので、みんなと共有出来た事は、頑張って来て良かったなあと思う…

2006年4月、父、邦治さんが他界、長渕は父の転勤先の、鶴1万羽以上の渡来地、出水市にて、出水市に纏わる歌を作った。
「鶴になった父ちゃん」…父ちゃん綺麗だなあ、一万五千羽の鶴の群れたちが、シベリアから飛んできたよ。父ちゃん綺麗だなあ、
雪降る空から今天使の様に一勢に舞い降りているよ…

そんな近年、長渕にとって衝撃な出来事は、2011年3月11日の東日本大震災だった。その1ヶ月後には、被災地へ入った。そんな長渕は、航空自衛隊松島基地で激励ライブを行う。「乾杯!」今君は人生の大きな大きな舞台に立ち、遥か長い道のりを歩き始めた、君に幸せあれーーー!
そして被災地の子供たちにも歌を届け、目の前で泣いてる子供たちへ、「泣くな泣くな、泣く気持ちを声に出せ!、泣きながら歌ったっていいじゃないか、みんな聞いて、幸せは転がってないよ、幸せは自分で掴まなきゃダメだよ。いい…、誰も幸せを分け合ってくれない、自分の手で幸せを掴まなきゃダメだ、わかった…、「出会った頃の二人にもう一度戻ってみよう、そして二人で手をつなぎ、幸せになろうよ…」

そしてその年の紅白歌合戦出場で、心魂歌を書き下ろした。「ひとつになってずっと一緒に共に生きる。ひとつになって君と生きる…」
両親への想いは、故郷鹿児島やがて、母国日本へと広がって行く。そしてこの歌詞に込めた、ひとつになる、という思いを歌詞にした。

2015年8月、富士の裾野に10万人オールナイトライブ2015in富士山麓…♪を開催。長渕はなぜこのライブを開こうと思ったのか❓
その時には、連帯を感じたかった。底冷えがするほど、仲間と云う意識が無い様な気がしました。震災の時の僕たちの国や地域を見た時にね、結局立ち上がったのは、苦しみを共有した、あの地域の方達が自力で這い上がって生きましたから・・・。なぜそこまで、日本を想い行動するのか…。父母を思う気持ち、親兄弟を思う気持ち、仲間を思う気持ちが、僕の日本を思う気持ちだなぁ~、それですね、僕が日の丸に一時期拘ったのは・・・。僕が回帰するのは、母の土手っ腹から流れた血です、それが日の丸の赤です
ね、僕にとっては・・・。

日本に住み、愛する人々を想い歌う。9時間半のライブの最後に、霊峰富士に叫んだのは、「俺たちの俺たちの皆んなを、幸せにしてくれーーーー‼
日本に生きる、全ての人の幸せを願う言葉だった・・・。

私は、長渕剛と云う人間が、何故、心魂歌を作り続けるのか分かりました。
皆さんは、どうでしたでしょうか・・・❓
長々と読んで頂き有難う御座います。良かったら長渕剛の魂の叫びライブをDVDで視聴してみて下さい…。
皆さんにとって、これからもずっと幸せであります様に・・・💖🍀💛

長渕剛金スマ1
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