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妄想満載の映画「JOKER」の解説🎥🎬

こんにちは🌞🎥🎬
当店で映画「JOKER」について、どこが妄想なのかと、議論になります。議論になる映画って面白いんですよね…‼ それでは解説していきましょう。

ラストのシーンが最大のオチです。80年代ではなく、現代の狂った世の中をトッド監督がジョークにして描いている。トッド監督は、作品の意図についてのインタビューで、仄めかす様な発言をしている。しかし最後のシーンについてだけ答えている。「あのシーンだけが、彼が唯一純粋に笑っている場面です」と…。この映画には、いくつかの笑い方があります。アーサーの苦しみから生まれる笑い。彼が大勢の一員になろうとする時の偽物の笑い。そして最後にアーカム州立病院の部屋で見せる、唯一彼の心からの笑いです。

物語は、架空の1980年代のゴッサムシティ。70-80年代のニューヨークの当時の世相を反映した舞台。貧富の差の拡大、蔓延する犯罪、セーフティーネットの抹消、崩壊する行政システム。そんな壊れた世界に産み落とされたのが、アーサー・フレックだ。狂気に満ちた社会を扇動するジョーカーが誕生したかと思いきや、次のカットでは病院の一室で、カウンセリングを受けているアーサーが映し出される。「あの後すぐに捕まって、アーカム精神病院に収監されたのか・・・❓」一瞬その様に錯覚する。これが本作のトリック(仕掛け)なのだ。結論を言ってしまうと、映画の99%は、アーサーの妄想の物語で、最後の笑いは、その妄想を思い付いたアーサーの笑いなのです。

アーサーとジョーカーの「線引き」自分の髪の毛を「緑」に染めるシーン。染める前までが「アーサー」で、ここからが「ジョーカー」であると私達に説明している。狂気に満ちた悪のカリスマは「緑」の髪の毛である。しかし、精神病院に収監された後、何の説明もなく髪の色が「黒」になっている。物語上「緑」の髪が「黒」に戻っているという事は「アーサー」に戻った事を意味している。つまり、ラストシーンのアーサーと、物語の99%のアーサーは、別物である可能性を示している。ラストシーン、アーサーは手錠された手でタバコを吸いながら、目の前の精神科医に笑っている理由を聞かれる。その時ひとつの回想シーンが挿入されるのだが、矛盾をはらんでいる。

バットマン作品のファンとしては嬉しい「幼少期のブルース・ウェインが、暴徒に射殺された両親を目の前に佇んでいる」というものだが、この現場はアーサーが見ているはずのない光景なのだ。ゴッサムシティの暴動の最中、ウェイン一家は運悪く暴徒に射殺される。射殺したのは、ジョーカーではなく、見ず知らずの暴徒なのだ。という事は、犯人ならば見れる光景を、ラストシーンのアーサーが映像で回想しているというのは、理屈に合わない。彼は、その現場にいなかったのだから。つまりブルース・ウェインの両親射殺も、アーサーの妄想なのだ。

ラストシーンには、物語の前提を大きく覆す様な二つの矛盾が仕込まれている。また作中に出てくる時計は「11:11」しか指してない。地下鉄でウェイン社の社員を射殺した際の発砲数が、銃の装填数よりも多いといった仕掛けも面白い。本編のほぼ全てが「アーサーの妄想」とすれば合点がいく事がある。

本作で「ジョーカー誕生の秘話」が明かされるはずが、結局は、我々は「ジョーカーの妄想」で煙に巻かれた格好だ…。トッド監督の言った「あのシーンだけが、彼が唯一純粋に笑っている場面です」というコメントの意味が解るはずだ。

あのシーンの「アーサー」だけが本物なのだ。それからトッド監督は、今までの映画のジョーカーと、このジョーカーが共存することは避けたかったとし、このジョーカーは、独立したものですと答えている。ようするに、現実におけるキャラクターなのだと言い切っている。

この映画の「オチ」は、何なのか…❓ 
ロバート・デニーロ演じるマレー・フランクリンは、地下鉄での銃殺事件の犯人は、自身である事を暴露するアーサーに対して「オチはなんだ❓」と何度も詰め寄る「ジョークには常にオチがなければいけない」と再三確認するのが、この映画、台詞の役割となっている。もしも全てが「妄想の物語」であるなら、ラストシーンの男は、誰なのだろう…❓ 名前も「アーサー・フレック」だという確証はない。なぜならアーサーは「妄想の物語」の登場人物なのだから。そしてラストシーンの年代はいつなのだろうか…❓ 私達は80年代設定の映画だと信じて観るが、その前提すら外されてしまう。

ラストシーンでは、気味の悪い笑い声をあげる男が「アーサー」であることも説明されないし、年代の説明もない。出所も身元も不明のままなのだ。実は、ラストシーンの男は「現代」にいるのではないだろうか❓ ラストシーンだけが「現代」の設定になっていると仮定すると「ジョーカー」はすでに、この世に生まれている。存在しているという事を、表わしているのかも知れない。

狂気は、すでに私達の社会に生まれており、社会の崩壊を待っている。そして我々を救ってくれるバットマンは存在しない。

本作品で描かれている事は、現実に起きている。富める者は、より富み、貧しき者はより貧しくなる世界。広がる貧富の差から社会は、不安定になり、怒りや恐れといった市民の衝動によって、ボイコットや暴動、差別を助長し分断が加速する様な運動が起きている。崩壊しつつある社会システムをケアすべき政治すら、資本家によってコントロールされている。トッド・フィリップスとホアキン・フェニックスはそんな現代への、問題提起を映画に込めたのだろうか…❓

いや、それよりも「こんな狂った世界は、もう笑って生きるしかないよね」という、超悲観的な、楽観主義を我々に提案しているのかも知れない・・・❓

この映画を撮った後に、ホアキン・フェニックスは、デモに参加し、逮捕されている。現在ラッパーとしても活躍中です。
解説は、ここまでです。
読んで頂き有難うございます🙇

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