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「ネルソン・マンデラ」愚弄されてもくじけない人に、栄誉は与えられる🌟🌟🌟

こんにちは🌞🌟🌟🌟
ネルソン・マンデラ氏にとっての“闘争”

マンデラ氏にとっての、獄中生活の過酷さは、経験したものでなければ分からない。それが27年半、日数にして1万日にも及んだ… 反アパルトヘイト(人種隔離)運動を率いたマンデラ氏の投獄期間である。

独房は、歩いて3歩ほどの狭さ。体を伸ばす事も出来ず、向こうが透けて見える薄い毛布で酷寒の夜をしのいだ。孤独から房内の虫に話し掛けようとしたこともあった。「1時間が1年にも感じられた」という。

だが、言語に絶する地獄のような苦しみを味わっても、マンデラ氏は希望を失わなかった。すべての人種が平等に暮らせる「虹の国」を築く… 心には大いなる理想の炎が燃え続けていた。「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」…。母の励ましの手紙にも支えられた。

獄中でマンデラ氏はつづっている。「新しい世界を勝ち取るのは、腕組みして傍観するものではなく、闘技場に立ち、嵐に服をズタズタにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです。」

「愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます。」マンデラ氏の静かなる闘争は、同胞を奮い立たせた。それはやがて国際社会をも動かし、アパルトヘイト撤廃への潮流は大きなうねりとなっていった。

そして1990年2月11日。ついに釈放の日がやって来た。 
マンデラ氏にとって、“闘争”は、釈放されてからが本番だった。収監当時、働き盛りの44歳だった年齢は70歳を過ぎていた。

人種対立は深刻の度を増し、暴力が激化するなど、課題は山積み。黒人の復讐が始まるとの懸念が広がったが、マンデラ氏は対話の力で融和の道を探った。

「どんな相手でも、たとえ看守だろうと、考え方が変わる余地はあるのだから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ」…。これが監獄の中で培ったマンデラ氏の確信であった。

粘り強い対話の末、1991年にアパルトヘイト関連法が廃止に。94年には南アフリカ初の全人種参加の選挙が実施され、マンデラ氏が大統領に選出される。マンデラ氏は就任式で訴えた。

「絶対に、二度と再び、この美しい国で、人が人を抑圧するようなことが、繰り返されてはなりません」と語ったのです。

ここまで闘い続けられる事が出来るのが、凄すぎます。27年半も牢獄にいて、70歳から挑戦してアパルトヘイトを廃止に持ち込む、その並大抵では出来ないことを、成し遂げたマンデラ氏、言語に絶します…🌟🌟🌟

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